雨谷の日和

過去12年で1,600を超えるアニメの第1話だけは見続けた僕のお勧めアニメがハズレなはずがない

句点も読点も無い文

半茶氏から、文の短長の話について感想を頂いています(040329付)。有難うございます。
以下、私として興味を引かれた部分をコメントしたいと思うのですが、頂いた文はテクニカルに長く書かれているので、該当箇所については文の一部分を切り出す形で引用させて頂きました。

まあその短長の問題はリズムの話なので私の手に余るところで御座いまする上に下手にこの問題に深く首を突っ込みますればきっとどうやって足を順番に動かしているんだいと問われてしまいには歩けなくなってしまった百足のようになってしまいかねないと恐れますので深入りは御遠慮させていただきとうなどとお茶を濁しつつ

仰る通りかと思います。
リズムという話には他にも、語調を揃える話であるとか、韻を踏んでみたりとか、色々また別の技術的な話題もあるかと思いますが、短長もそうした話題の一翼を担っていると思います。
そこまでは流石にまだ、まとめるつもりは無いですが、短長の問題だけでも、意識すると文を綴る手が止まりがちになりそうなのは私も感じるところです。
まあ、お話としてはあくまで文を書く上での技術的な雑談、ということに留めておくのが良いと思っています。

ふと考えると平安の昔から日本の文は句点も読点もなく山吹の尾のしだり尾の如くながながしくだらだらと続くのが伝統でございますゆえこの流れのグルーヴといいますかノングルーヴも手法としては在りかと思われますが自分で書いてみますとなるほど印象の弱い文でございますねえ。

そういえば、学校などで習う古文の読み物には句読点がありませんね。
これの理由は私、浅学にして存じていないのですが、何故なのでしょう。
私が今までにまとめた論旨に沿うならば、句読点の無い文章は意味の把握に時間が掛かるため、印象が弱くなるという結論になります。
逆に、日本語の読み物に句読点が使われるようになったのがいつ頃で、その歴史的な背景が何なのかを調べてみると面白いのかも知れませんね。


大変参考になるお話を、有難うございます。