『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』(Lifehacking.jp)
全てのグループでバイオリンを始めた平均的な年齢は変わらず、「スタートが早かった」効果はグループでみると無視できました。それに対して練習量は、他のグループは同じ年齢で 8000 時間、あるいは 4000 時間にしか達していなかったのに対して、ソリストになりそうなグループは計10000時間ほど、一週間の練習量も他のグループよりも飛躍的に高かったのです。
上記の内容は、だいたい私の実感(音楽演奏の練習量と力量の関係、プログラミングに取り組んだ時間とプログラム能力の関係など)と一致するので、おおよその部分は正しいのではないかと思えます。
ということは、そろそろアニメを見続けて10年くらいになるので、私はアニメ鑑賞の天才に進化するはずなんですが。どうか。
というか、日本にはゲームの天才とか、すごくたくさん居そうでなかなか含蓄のある法則ですね。
まあ、天才と社会的に認識されるためには時機にも恵まれる必要があるので、10000時間は天才の十分条件ではないんですけどね。
個人的な考えでは、時機に恵まれることを運頼みにしているのではかなり無駄が多いので、そこらへんはある程度狙いを定めるべきでしょうという気がします。例えば、何かの仕事に就いたとして、1日中その仕事に打ち込んだとすると、10000時間を達成するのはだいたい5年ぐらいということになります。ならば全ての職業人は彼らの分野において5年でスペシャリスト化するということになってしまうのですが、それはちょっと実感と合わない気がします。もちろん、凡百は真面目に仕事なんてしてないから、という冷めた見解もアリでしょうけれども、実は仕事っていうのはそんなに甘いものでもないので、たいていの人はある分野について5年でスペシャリストになっているという理解の方が恐らく適切です。
問題は、スペシャリストがスペシャリストとして周囲に認識されるための条件の方にあると考えるべきでしょう。Aという分野に99人のスペシャリストが居て、Bという分野に1人のスペシャリストが居るという状況の場合、その100人の中で何らかのスペシャリストとして認識され得るのは誰か、という問題なのではないでしょうか。
まあ要するに、ケータイ利用のスペシャリストよりは、アニメ鑑賞のスペシャリストの方がより認識され易いだろう、ということなのですが。もちろん社会全体の話に拡張するならば、分野の社会的な知名度というものも関係するので、一概にヘンテコ分野の方が天才化しやすいとも言い切れないのですが。
また、時機というものそのものについてももう少し考察をしておく方が良いような気もします。結局、社会が時機を時機として捉えるその仕組みを考えた場合、そこには何かしらそのタイミングで解決された問題があるであろう、という結論になりそうな気がします。
整理すると、こういうことかなぁ、と。
以上、取り留めの無い考察でした。おしまい。